大切な子供を安易にネットコミュニケーションに晒すな

10代のネット利用を追う: Yahoo! JAPANが子どもたちに教える、ネットの“5つのルール”を見て、ふと思ったこと。

「10代のネット利用を追う」って事で、子供のネット利用に関する題材を色々と取り上げていて、子供を持つ親としては非常に興味深い。

今回はこの記事がどうこうという訳でなく、大きなくくりとして子供がネットを利用するってのはどうなのさ?ってところに引っかかった。
今では、小学校でも「ネットなどで調べてきて」みたいな宿題が出る位、子供の世界にもネットは浸透してきている。もう子供達にとってもネットはあって当然の存在なんだろうと思う。

ただ、これってどうなの?って思うわけだ。
人が処理できる情報量ってのは、年齢と共に増えていく訳で、小学生の頃からこんな情報の海に投げ込まれても、それを処理していく能力ってのは無いんじゃないだろうか?
せいぜい図書館で調べて、めぼしい本を探し、そこから抜粋する位が限度じゃないだろうか?

何でもそうだが、小学生には小学生にふさわしい量とか大きさってのがあって、その中でいかに工夫していくか、やっていけるかを色んな方法で学ぶべき。

例えば、遊び場や行動範囲。
幼稚園の頃は自分の家の周りの区画を一周するだけでも、相当な冒険なはずで、家の周りに何があるかを、隅から隅まで這いつくばるようにして遊び、色んな物を見つけた。
私の家は神社の裏で、幼稚園の頃はその神社と家の前が世界の全てだった。
でも、その神社は隅から隅まで知っていて、縁の下には地蜘蛛や蟻地獄の巣がどれくらいあるかも知っていた。
その神社を通り抜ける人も、大体知っているから、ちょっと怪しい見かけないような人が来れば、友達同士で「誰だあれ」なんて話にすぐなったりした。
体力測定もその神社でやった。
ちょっとしたブランコがあり、そのブランコから飛び降り競争で、誰がどの辺まで飛べるかも分かったし、自分が日に日に遠くへ飛べるようになるのも、実感したもんだ。

小学生1年になると、ちょっと足を伸ばして、近所のお友達の家や川の土手へ虫取りやザリガニ釣りをしに行くようになる。
友達も圧倒的に増え始め、知っていることも格段に増える。
こうやってだんだんと行動範囲を広げると共に、自分が処理できる情報量も増えていくんじゃないか?と思う。

調べ物の宿題なんかも、最初は家族に聞いてみましょうみたいなので、そのうちに近くのお店に聞きに行くみたいのが出てきて、図書館で調べましょうとかになるわけだ。
それこそ学校の図書館にだって相当な量の情報があるわけで、それを調べるのだってかなりの勉強になるはず。

そういう手作業で情報を選び出し、自分で整理できるようにならないと、次の段階にはいっちゃダメな気がする。
それすら出来ないのに、いきなりネットの情報の荒海に投げ出されても、それをどう処理していったらいいのか?情報過多になって、上手く処理できるわけがない。

人間関係についても同じだ。
小さい頃は周り数人のコミュニケーションから始まって、小学生、中学生となるに従って、多くの人とコミュニケーションが取れるようになるわけだ。
今では中学生がSNSなんかで何百人っていう人数とやりとりをしていたりする。
クラスでのコミュニケーションにさえ手に余ってどうにもならない子が、SNSなんかでまともにコミュニケーションが取れるはずもない。

携帯のSNSによる事件などを見るにつけ、そりゃ当たり前だわなと思いつつ、うちも気をつけないとなぁと思う次第。

確かに、安全って言われている日本でも、最近の凶悪事件は怖いものがあり、子供に携帯を持たせた方が安全?って思ったりもするが、メール機能がある携帯は持って欲しくないというのが本音。 ま、当然子供はそんなのじゃ嫌って抵抗するんだろうけどね。 だからまだまだ持たせるつもりは無いけどね(-。-)

携帯、インターネット、確かに便利にはなったけど、子供が健やかに育つには無い方が良いよ。 全く。

フィルタリングソフトやらなにやら色々あるけど、子供がネットに触れようと思えば、どんな形であれ危ない情報には簡単に触れられる状況ってのは変わらないわけで、そこから守っていけるのは、やはり親しかないと思う。

子供にしっかりとネットとの付き合い方を話し、家族共通意識として理解させる事が何よりも重要なのかもしれない。



追記:
とか書いて、アップしたら、2chの博之氏がこんな事言ってた。
全く同意。
2ちゃんねるの管理人、西村博之が独占激白!「子どもにインターネットは必要ない!」 - シネマトゥデイ